精神科に行ってきました。
今日は通院日でした。
今の主治医は本当に“血が通っている”と思える医師です。その前にひとりの人間です。尊敬している人格者です。
今の先生と出会うまで何人かの医者にかかりましたが、彼らは人間ではないロボットみたいでした。
ああそうですか。ではこれを飲んでください。
流れ作業的に精神薬を処方され、問診はありましたが何を訴えても薬が増えたり減ったり、はたまた変わったり…
抗うつ剤、抗不安剤、安定剤、睡眠導入剤、睡眠薬。何種類もの精神薬を禄な説明もないまま飲まされる日々。
しかも病名すら告知されないので私は自身がなにを患っているのかすら分からなかったのです。
聞いてみても、○○依存症、○○人格障害、うつ…医者の見解はコロコロ変わり、私は私自身ではなくなりました。
ぼんやりとした頭で人間ではない私でいました。
家中にある薬をかき集めて飲んだり、腕を切ったり、酒を浴びるように飲んだり、一日中食べ物を食い尽くしていたり…
救急車で運ばれたり、精神科病棟に入院したり。
それでもなにも変わらなかった。
医者はただただ私の訴えを聞いて薬を出すか入院を勧めるか。それしかしないのです。
そんな状態が10年続きました。
私がはじめて精神科に足を運んだ頃、
グラクソスミソクライン社によるかの悪名(?)高き『うつは心の風邪』キャンペーンが大々的にされていました。。。
話を戻します…
私自身に引っ越しという結構な環境の変化があり、4週間ぶりの診察でした。
寝込んだり、一日中ハイになって動き回ったり、落ち込んだり、急に明るい気分になったり。睡眠、食事、服薬をきちんとしていたのにちょっと自分を持て余していたのでメモを書いて渡しました。
先生はまず新しい住環境のことを訊ね、それが私にとって安心できる場所であるかということを非常に気に掛けてくださいました。前回の診察でも結構な時間をかけて引っ越しの話題があったので私は不思議に思っていました。
今までの医者なら気にも掛けるどころか聞き流すような話題だからです。
先生はメモを声に出して読み始めました。
『(実現できなかったけど)私の結婚式は病気を理由に断って来た母親が、妹の夫が白血病になり妹が心配という理由で神奈川県まで来た』
字が汚い上乱文でした。汗
位置関係は母親宮城県仙台市、妹は神奈川県の湘南、私は東京都区内在住です。
完治しない難病に罹った母は合併症で糖尿病になりインスリン注射が欠かせない身体です。
新幹線での移動は無理!と結婚式の出席を断固として拒みました。無茶をさせるわけにはいかないし、と私も納得しました。
そのせいではないのですが、その頃の私の精神状態は最悪で結婚式は結局キャンセルです。
それが5年ほど昔のこと。
先月、母が異父姉妹である16歳年の離れた妹を伴って神奈川まで来ました。理由は上記の通り、夫が白血病になり憔悴してやつれた妹が、母曰く、ともが心配で心配でたまらなく てわざわざ新幹線に乗って在来線を乗りついで湘南まで出向いたのです。
はっきり言って理解に苦しみました。
私のお祝いはできなくても、ただ、妹が心配。それだけで病気を推してでも動くのか…
失望とそういう人だよねというなんだか訳の解らない気持ち。一言で言えば。
意味わかんない!
(母は離婚して見事にきっちり半年後に再婚したので、異父妹と弟がいます)
先生は言葉を選んで話はじめました。
『そうですね。白血病というのは命に関わる可能性がある。でも、結婚式というのも人生に於いて重要なことですよねぇ… 妹さんと差があるというのは…他は何かありますか?』
妹はお姫様のようだったこと。私だけおこづかいやお菓子が貰えなかったり、小学校の卒業式に妹は白いワンピースにエナメルの靴、私は普段着で出席したこと、暴言も暴力も私だけに向けられていたこと。
淀みなく簡潔に話しました。エピソードには事欠かないので。。
先生はなるほど。と言い。
子供の頃に抗えない大きな力に対して無力だったのんさんには安心して居られる環境。それと人間関係は人間しか回復出来ない部分があります。信頼できる人間関係と安心できる場所が必要なんです。
穏やかにはっきりとした口調でした。
その時、やっと理解できたのです。先生が引っ越し先の住環境をしきりに心配していたことを。
私には幸い人生のパートナーとして夫がいます。
先生はそれもとても良いことと常々言っていました。
私は、先生は私を人として接して居ることを感じました。
今までの医者は私を“患者”としてしか見ていないことに気付いていたからです。
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長くなってしまいました。このブログは私の過去を記録し自分を癒していくのが目的なので、ご理解いただけると幸いです。