毒親に育てられた娘

精神を病んでから考えたこと。家族。やまい。いきること。

『パリ、テキサス』とかタモリと近所なんだ(実家)とか。

非常に自己否定の強かった私はほぼ周りの人間に振り回されて生きてきたと言っても過言では無い気がします。

白を黒だと言われれば『それは白ではないか…』という心の声を打ち消して『黒』と言わざるを得ない。そこにはピンクも赤も青も緑もましてやグレーなどないのです。

他人が黒と言ったら自分がどんな風に見えていても黒。

本当はパステルカラーが好きだったけど、私の幼少期の風景はモノクロだった気がします。

 

親がそういう価値観を植えつけていたわけですが、“従順であること”を求めるのは親だけではありませんでした。従順である。意のままに動く“機械のような人間”を欲している人は世の中にたくさんいる。そんなことは知らなくてもいい。けどそういう場面に直面することは毒親育ちではなくとも大人になれば誰しも経験があるように思います。

 

子供が“従順”で“おとなしく”て“意のまま”に動くことは親にとってこの上なく好都合でしょう。

私は、泣かないわめかない意見しない反論しない。素直でおとなしい子供であることを常に求められていました。

少しでも自分の意見を言おうものなら即時に全否定され、『おまえは可愛げが無い』と切り捨てられる。

それは自尊心をそぎ落とされる行為でした。

 

家ではロボットのように感情を露にすることを暗に禁じられていたわけですが、学校では違います。私は昭和生まれですから今ほど個性個性いわれる前の教育を受けましたが、それでも“自由のびのび元気で明るい”子供像が教育現場では理想でしょう。

私は陰気な子供でした。

家で意見することを封じられていたわけですからいきなり“じゆうなひょうげん”を求められても困惑するだけです。

唯一救いだったのは、私は子供の頃から活字中毒だったことです。親が世話を放棄するので時間だけはたっぷりありました。私には妹がいるのになぜか家で常にひとりで留守番をさせられていました。私は“おねえちゃんなんだからがまんしなさい”の精神を植えつけられていたのに対して、たった2歳しか離れていない妹はいつまでも子供の振る舞いを許されました。なので、母は妹だけを連れて出かけていたのでしょう。家には親戚が送ってくれた大量の絵本と童話と祖母が買ってくれる本がありました。暇だった私はかたっぱしから本を読み漁りました。本を読んでいる間は時間があっという間に過ぎるのでひとりぼっちの孤独を早く終わらせてくれる存在だったのです。

 

で、じゆうなひょうげんに戻るわけですが、活字中毒だった私は学力は低かったものの言語に関すること、語彙や表現することに長けていたようです。自意識過剰かと思われるかもしれませんが国語だけは先生によくほめられていたので間違いではないと思います。引っ込み思案ではっきり自己主張はできませんでしたが、なんとか学校での時間を乗り切れたのはその長所のおかげです。

 

自己肯定ができなくて他人に振り回される。常にひとの顔色を伺って生きているとそういう人間を物凄く敏感に察知して近寄ってくる類の人間が存在することを私は知りませんでした。彼らの目的は自分の都合のいいように使うことです。

 

父方の祖母が贈ってくれた宝物の本があります。ミヒャエル・エンデの『モモ』です。

『モモ』に出てくる“灰色の男たち”のような人間がぴったりあてはまります。

他人に寄生しないと生きて行けない。つまり根っこの無い弱い人間。そういう男たちに翻弄されて私の若い頃は苦悩の連続でした。

 

あるとき、職業不詳のDJと知り合いました。今思うと何が魅力的だったのかさっぱり分かりませんが、クラブシーンが最盛期だったのでDJというだけで“ブランド”でした。DJはかなり年上だったにもかかわらず貧乏で見栄とプライドだけで生きているようなさもしい人間だったのを見抜けなかった私はばかです。

性的にひどいこともされました。それよりも私を侮辱して優位にたって自分の価値が上である。という言葉の暴力のほうがきつかった。

 

DJが料理を振舞うというので私は居間でテレビを見ていた。夕食の時間帯はグルメ番組が多い。『おいしそー!』と言った私に台所にいた彼は激昂して怒鳴りつけました。『俺が料理を作っているのに手伝いもしないで他の料理を見ておいしそうとはなんていう非常識だ!!!』私が泣くまで説教されました。狂気じみていました。DJはできあがった料理を出しました。食欲なんてありません。でも残すのは最大の侮辱だと主張するので泣きながら完食させられました。味もなにもありません。

 

DJとは常に割り勘でした。安居酒屋に行った時、つくねを食べる私にそんなもの何が入ってるかわからないのに!と食通ぶっていました。皿が何枚も空いたので店員さんが片付けやすいように重ねる習慣がある私はいつものようにそうしました。『皿を重ねるなんて非常識だ!』そりゃあひと皿ひと皿でてくるような高級懐石ならそんな真似するわけありません。一品数百円の料理を提供するお店の皿が高級な訳…あるんでしょうか…兎に角いちからじゅうまで私のやること、発言、なにもかもにいちゃもんを付けては悦に入っているようでした。

 

私は高校生の時から自宅で鑑賞できるNHKBS放送の映画が好きでした。マイナーな、テーマもまじめなものが多かったのですが、所謂“単館系”と呼ばれていたサブカル的な映画だったのです。今でこそサブカルブームですが、その時は誰も知らないような映画を観ても感想を分かち合える訳でもなく、自慢要素ゼロでした。

 

DJに『パリ、テキサス』という映画がすごく良かった。女優さんも綺麗だし空気感がすごく好きだった。と話しました。『そんなの俺高校生の時にとっくに見た。そんなこと言って恥ずかしくないの』言い放たれた言葉に呆然としました。確かに新しくはない映画です。メジャーな映画でもないです。名作といわれている作品です。いつどんなときにどんな人が観ても感動できるのが名作たる所以なのではないでしょうか。

先に見たから?高校生で理解できたから?偉いというのがDJの主張だったようですが、、、いま回想すると失笑ものです。

 

つきあいはあっという間に終わりました。『パリ、テキサス』のせいではないです。

 

あるライブでプレイをするDJを見にいきました。後輩DJに偉そうに意見を言い、マイナーな(というか誰も知らない)ディスク(皿)をまわし得意げでした。私はつまらなかったので踊りました。ノリが良くてJ-POPじゃなければ頭をカラにして踊れるんです。日本語は歌詞が頭に入ってきてあまり乗れません…DJは所詮前座でした。客の目当てであるバンドがライブをしました。ボーカルがロングヘアの美人でギターを弾いて激しい歌をうたっていました。

彼女は自分の出番が終わるとメンバーといっしょにギターケースを背負って出口に向かっていました。DJは私に『のどあめかガムない?』と聞き、?という私を置いて出口に向かいました。バンドの美人を追いかけていくDJを見て、どうでもよくなりました。ちょっと笑いさえこみあげてきました。滑稽な姿でした。

DJは音楽プロデューサーのKと知り合いだと言っていました。Kの前に美人を連れて行かないと恥ずかしいと。アクセサリーのように人を扱うクソDJのほうがよっぽど恥ずかしい。

 

… 書いてみてもつくづく黒歴史です。

 

あるときは外資系に勤める30代のリーマンでした。俺語り大好きで常に自慢話。つまらないので話半分でした。地方の国立大学を出て特殊な仕事をしているようでした。教えてはくれなかったのですが、仏車のデザイン関係のようでした。

繰り返し、実家がタモリの近所。車2台とバイク所持。収入は普通のリーマンの倍とかなんとか。六本木のオールディーズのディスコスタイルのクラブに毎週通っていました。よっぽど心酔らしく、ライターやプラスティックの持ち物ほとんど全てに自作()のテプラ()で店名を印刷したラベルを貼っていました。(もう今となってはどう突っ込んでいいか分からないほどです…)

件のクラブで他の男性と話していると喧嘩をふっかける、なんてこともありました。

さぞや豪華なデートをしたと思われるでしょう…

大○屋でも割り勘。クラブのチャージは自腹。1000円以上の食事は高いと文句を言ってやめる(割り勘だっていうのに)待ち合わせは車で迎えに来てくれたけど中間地点以上の距離まで私が電車を使う。待っている間にマックシェイク100円を飲んでいたら『俺の分は?』彼のマンションで歯ブラシを渡されたけど先がぼさぼさの誰が使ったか分からない中古w(もちろん使わず。当たり前w)風邪を引いて寝込んでいたら来てくれて手土産はコンビニのアイス一個(しかも半分ずつシェアw)家にあるものをこれも100円あれも100円!となぜか自慢される。

 

しかも驚くべきは私はその当時派遣社員の契約の隙間で無収入だったこと。貯金を切り崩していました。ある時、車の中であなたは私が無職なのを知っていて割り勘にこだわるのかと憤慨すると。

『金金金金いうんじゃねえよ!!!』と罵声を浴びせられました。

 

幼い頃からお金に苦労してきた私は良い意味でも悪い意味でもお金に執着しません。使うべきときは使う。楽しいこと、友達、恋人と一緒のときのお金は無駄ではないという考えです。

 

でも、、、度を越えたケチはだいっっっっっキライです。

 

まあもうひとりドケチと言えるひとと関わったことがありますけど、上記の2名+αは“元彼”ですらありません。私がさみしさのあまりつけこまれたといまでは思います。

 

そしてそういう男に限って私からフェードアウトすると未練をみせるのです。

『今度からおごるから』と言われたことすらあります…

 

人をみる目は養えたと思いたい。

 

けど 下衆すぎて恥ずかしくて隠したい。そんな過去です。

 

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ミヒャエル・エンデの『モモ』は本当に素晴らしい作品で大好きです。祖母がなぜあんな分厚い本をまだ小学生の低学年だった私にくれたのでしょう…不思議ですが、、、実家も無く引越しばかりの人生の私が決して捨てることなく大切にしている一冊です。

卒業アルバムも、出生時の写真もへその緒も…大切にしていた文庫や思い出のもの。実家といっても借家ですが、いまはもうすべてありません。このことはまたいつか書こうと思います。

 

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最初は深刻な文だったのに、、、思い出したひとたちがクズすぎて笑い話のようになってしまいました…