毒親に育てられた娘

精神を病んでから考えたこと。家族。やまい。いきること。

妹。

私の妹は親に殴られたことがありません。

欠点をあげつらわれたり罵られたことも無いです。

 

なぜなら。それは全て私の役割だったからです。

 

にぶい。せこい。みっともない。ださい。

そういった言葉は日常会話でよく言われました。私だけに。

 

たとえば、人ごみの中を歩くとき母は妹と手を繋ぎました。私は繋いでもらえなかったのではぐれないように必死で小走りをします。妹とすごく歳が離れているなら理解できるかもしれませんがたったの2歳差です。私だって十分幼かった。 でも“おねえちゃんなんだから”の一言でなんでも我慢しなくてはなりませんでした。 いつものように母は妹と手を繋いで歩きます。大人の歩みは子供にとっては速いです。置いて行かれないように必死についていきます。 あるとき、繁華街で沢山の大人が歩いている中私の靴が脱げてしまいました。母は気づかずに妹の手を引いてどんどん遠くへいってしまいます。私は迷子になるのがとても恐ろしかったので片方の靴を道に置いたまま母を追いかけました。優しいおばさんが私の靴の片割れを持って慌てて駆け寄って母に声を掛けました。母はお礼を言って私に靴を履かせました。

でも、私の手を取ることはなかったのです。

 

父も妹だけが可愛かった。

私が小学生の頃、父が新車を買ったと自慢しました。赤いぴかぴかの車が家に来ました。シートはビニールが掛かったままです。私は車のシートのビニールを外した方がいいというようなことを言いました。子供にそんなことを言われて腹が立ったのでしょう。父は物凄い剣幕で『お前なんて乗せてやらねぇ!!』と怒鳴りつけて妹だけを新車に乗せてドライブに出かけました。

父がお菓子を買ってきたとき、当然ふたつ同じものがあるのですが、わたしが嬉しくて必要以上にはしゃいだりすると『うるさい!お前には食わせねぇ!』と妹だけに与え、そして多分私の分であったであろうお菓子は父が食べるのです。

 

母は見ていても何も言いませんでした。妹も自分が特別扱いされるのが当然といった風情でした。

 

それでも子供の頃は妹なりに私を慕ったり頼ったりしていました。私も妹が羨ましいとか憎たらしいとかいう感情はありませんでした。物心ついた時からの差別なので当然そういうものだと思っていました。

 

高校にあがった頃、妹が私に対して優越感を抱くようになりました。妹に彼氏ができたからです。

 

高校にあがってから私はバイトを始めました。でも父が毎月万単位で借金の申し込みをするので手元には残りませんでした。それに返してくれることも決して無かったのです。

対して妹のバイト代には手をつけないのです。

 

妹はちゃっかりしたところがあり、プライドも人一倍強い性格でした。普通に友人を作り、彼氏も作りました。

私は不器用でばか正直なところがあるのでいつも人間関係で苦労していました。常に自信が無く、憂鬱で、思春期特有の鬱屈もあり素直に人と関われなかったのです。

 

妹はすぐに彼に夢中になりました。歌手のSに似ている。バンドをやってる。頭もいい。 その彼氏という人は妹と同い年でしたが、その時付き合っていた彼女とうまくいっていないときに妹と出会い、妹を選びました。妹の舞い上がりようは相当でした。

私はその頃、派手なタイプの彼氏がいましたが数ヶ月であっけなく捨てられていました。失恋の傷は癒えませんでした。

19歳のときに家を出て一人暮らしをしました。もちろんかつかつです。それでも家を出たのは父の暴力と毎日出て行け出て行け言われるのにうんざりしていたからです。

一人暮らしは孤独でした。訪ねてくる友人も彼氏も居なければ家族すら気遣ってくれないのですから当然です。

 

妹は高校を卒業しました。その彼とは続いていました。 彼は大学入試に失敗し浪人生になりました。妹はバイト生活です。 彼は東京でバンドをやりたい。という田舎の高校生らしい夢を持っていました。だから東京の大学に行く必要があるというのです。

妹の彼氏はどんな人か実はあまり知りません。その後ふたりは結婚しましたが、彼の家族に会ったこともないし当の彼にも数回しか会ったことがないからです。

彼は1年浪人しFラン大学にやっと合格し上京しました。そのあいだ妹はバイト代をせっせと貯金していました。 私は彼のことをあまり知らない上に数回あったときの印象は良くありませんでした。

妹の伝聞ですが、太ったら別れる。好きな人ができたら浮気じゃなくて本気。というようなことを言っていたようです。それにまだ高校生で妹に彼を紹介されたとき、彼はバンドの練習だとかで友人と一緒で、妹にあっさりと千円貸して。と言ったのです。

つきあってるといっても日が浅いのにお金が絡んでいたことになんだかいやな予感がしました。

妹は彼を追いかけようとしました。でも断られたと悩んでいました。それでも妹は彼を諦めませんでした。

半年後妹は追いかけるように上京しました。

そしていやな予感は的中しました。 彼は上京するにあたって親御さんから10万円の仕送りを受けていました。でも妹と同棲することが決まったときに家賃10万円の部屋に引っ越したのです。都心のほうがバンド活動をしやすいとかなんとかです。彼もバイトをしていましたが、東京でも彼と同棲するためにいる妹のほうが働いてる時間もお金も多いはずです。必然的に妹が働く前提で生活が成り立っていくわけです。

同棲するのはお互いの両親も知っていました。

でも挨拶もなにもされませんでした。そんな経済状況と知って尚です。妹が彼と結婚しても両家の顔合わせすらありませんでした。

彼の両親は裕福で地位のある職業の人たちでした。でも非常識な印象は拭えませんでした。

 

最初の一年で妹はげっそり痩せました。理由はわかりません。

両親は心配だから様子を見に行くように私に言いました。仙台に居た私は妹の家に一泊しました。もちろん交通費は自腹です。。。

 

彼はちょっとした言葉を交わすとひとりでゲームに興じ夜中までギターを弾いていました。

礼儀なんてなっちゃいません。都心に引っ越すまえの部屋だったので1kロフトつきの狭い部屋でした。

寝るときどうするのかな。と思ったら、妹は私にロフトを使うように言い、妹は彼とベッドで寝ました。

性行為があるわけではないですが、私の前で彼と当然のように同じベッドで寝る神経が理解できませんでした。

 

その後私は神奈川県に引っ越しました。一人暮らしをしていました。相変わらず孤独でした。年賀状が届いたのですが、前の住人のものだけでした。それをポストに戻しに行く。そんなお正月をすごしたりしていました。

 

妹が突然うちに泊まりたいと言い出しました。そんなことはじめてだったのですが、たまには会いたいのかな。と思って了承しました。妹は夜になったら化粧をはじめました。出かける予定などありませんでした。『なんで化粧してるの?』ときくとちょっと友達のところに行く。とだけ言うのです。

私のうちに泊まるのは言い訳で、最初から気になっている男のところに泊まりに行くつもりだったようです。

その前にバイト先に気になる人がいる。とは聞いていました。結婚願望が強い人だから気が合うとかなんとか。。。私は彼氏にばれないように二股をする算段に使われただけでした。

頭に来たので母に電話しました。妹が男の家に泊まりに行った。おかしい。と。母は言いました。

『あの子はそんな不潔なことしない。身体を許すようなことはしていない。』 母の信頼は絶大だったようです。

 

私が同棲すればだらしない。妹が同棲しているのは献身的だ。

両親の評価は正反対のものでした。同じことをしていても。です。

 

妹だけがいれば両親は幸せだったのかもしれません。

同じ家庭の姉妹を平等に愛せない。 そういうものなのでしょうか?

せめて父か母のどちらかが私を受け入れてくれたら…

両親揃って妹だけを可愛がり精神的にも肉体的にも私を苦しめ痛めつけました。

 

姉妹格差。

 

くつしたの片一方だけが大事ということは有り得るのでしょうか? 私にはわかりません。

 

ただとても辛かった悲しかった。ずっとこころに蓋をし続けて生きてきた。

他人に受け入れられたり分かってもらえる人生じゃなかった。

 

 

今日は妹の誕生日です。