毒親に育てられた娘

精神を病んでから考えたこと。家族。やまい。いきること。

生活保護の必要な人は申請をためらわないでください。

前の記事で精神科の入院やデイケアの“常連さん”が生活保護受給者であると書きました。そしてそのことを私は快く思っていないという記述です。

 

実際会ったことのない人ですがネットで知り合った40代の女性は精神を病んでいて生活保護を受けていました。

彼女は毎日酒を飲み、SNSで知り合った人たちとバーベキューをしたり、行きつけのバーがあるといって豪遊していました。嘘かどうか分かりませんが、親の資産は数千万円ある。だけどキライだから世話にならない。というようなことを言っていました。医療費も家賃も光熱費も税金も無料なのですから恵まれてるな…と呆れたというのが本音です。

 

すみません。ちょっとリンクがまちがっているのですが、あとでなおします。とりいそぎ。

 

でも、そういった人たちはごく一部です。生活に困窮する前に手を打ってください。

 

まず、病気になって働けなくなったら…休職の場合は傷病手当金が受給できます。

病気になってしまった…仕事をやめなくてはいけない…と思いつめてはいけません。

まず、職場に休職の打診をしてください。

直属の上司、またその上の上司、人事担当。

派遣だったら派遣会社の担当。

アルバイトだったらまず社会保険雇用保険、厚生年金の加入の有無を確認してください。

医師の診断書が必要ですので、かかりつけの病院のケースワーカー、居ない場合は事務担当に問い合わせをしてみてください。

傷病手当金は加入している健康保険組合から給付されるものです。

 

失業してしまったら失業保険申請のためにハローワークに行ってください。

直接出向く気力がなかったら電話で問い合わせることも可能だと思います。メモを用意していつまでにどんな書類が必要でどこに提出するべきかを必ず書きとめてください。そして多少面倒でも動いてください。→


全国ハローワークの所在案内|厚生労働省

 

病気で失業した場合、再就職のことを医師と相談してみてください。

自分ではできる。と思っていても無理なものは無理です。オーバーヒートして完全に壊れてしまっては元も子もありません。どういった形態で働くか。そもそも働くことができるのかをよく医師と相談してください。医師が忙しくて相談に乗れないということはありません。遠慮してはいけません。

 

仕事を再開するのが難しい状況だったら手持ちのお金が尽きる前に動いてください。

たとえば東京都保健所の場合HPで相談したいときの総合窓口のようなページを設けています。→東京都保健福祉局

自治体によって相談窓口は違いますが基本的に保健所には各地域担当の“保健師”というケースワーカーがいます。場合によっては訪問もしてくれるので、まずは保健所に電話を掛けてください。そして自分の地域担当の保健師とつながってください。→全国の保健所一覧

生活保護は保健所でも各自治体の役所でも相談に乗ってくれます。

※私の住んでいた地域の保健師さんは生活保護の申請の手伝いをしてくれるようでした。etc役所への付き添い。資料の作成。必要各所への通達の指示。

 

生活保護を受けることができます。→生活保護制度

生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。】

 

とあります。随分ぼんやりとした定義です。

しかも担当する人によって対応が全然違うと聞きます。

最近、ある女性が担当者に身体を売ったらどうかと言われたということが問題になりました。

 

恥ずかしい。

そういうことはひとまず考えないでとにかく相談しに行ってください。

 

恥ずかしい - 本当にそうでしょうか?何に対してですか?

… 働けないこと。お金が無いこと。頼れる人がいないこと。

それはあなたが悪いからそうなったのですか?違うと思います。

一生懸命がんばっても生活に困窮することは誰しも有り得ます。精神的な病は恥ずかしいものですか?

心身ともに健康を損ねてしまえば生活に困るのは当然のことです。

 

申請を言った先でまず聞かれるのが家族のことだそうです。

金銭的に頼れるかどうかです。もし親に虐待されていたり縁を切っていたらそのことも正直に話してください。

 

☆明確にしておくべきこと

持病の有無

働けない理由

借金の有無

家族との関係

親戚との関係

通院の有無

扶養者の有無

 

とにかくいかなる理由にせよ生活していけないことを訴えてください。

担当者の一存で決まる側面も持ち合わせているようです。

そんな時は諦めないで何回も足を運んでください。

女性の場合は女性の担当職員を指名することもできます。

 

そのほか役に立ちそうなこと。

障害者手帳の申請、自立支援法の申請→厚生労働省/障害者福祉

※自立支援を申請すると医療費の減額を受けられます。

 

障害者年金の申請→日本年金機構

※審査が通りにくいと聞きますが、あきらめないでまずは医師に相談してみてください。年金加入期間などの細かい条件がありますが、年金事務所に出向く、年金ダイヤルに問い合わせてみるなど動いてください。

 

 

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私は生活保護受給者ではありません。しかし精神障害者ではあります。

失業してから使える制度は使ってきました。

それはひとえに親身になってくれた医師や役所の関係者の方々の協力があってこそです。障害者になってみてわかったことは案外知らない社会福祉制度が多いということです。

生活保護については今まで相談した経験を書きました。

 

シングルマザーorファザー、被虐待児だった人、施設で育った人、債務に追われている人、家族と縁を切ってしまった人、身寄りの無い人。いま健康な人。

どんな状況であろうと生きる権利があります。今が恵まれていて生活ができていれば立派なことですが、立ち行かないことは誰しもあると思います。

 

決して投げやりにならないでください。

 

つらいとき、こまったとき電話でそうだんしたいとき→よりそいホットライン

0120-279-338 フリーダイヤル おとなでもこどもでもそうだんかのうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

精神的な病気で何もしたくない時には。

何もしなくていいんです。

ただそれだけです。

 

できれば、何も考えないようにするのが良いですが、なかなか難しいです。

すごくよく分かります。

焦ります。こんな筈じゃなかった。本来の自分じゃない…

 

ぐるぐる思考で脳が暴走するのに身体はだるくて動けない。それでもいいんです。

仕事は。。。家事は。。。ああ今日ごみの日だ。。。

何かやらなきゃいけない!という使命のようなものに駆り立てられているのに身体がついていかない。

それは決して怠けているからではありません。

 

脳が誤作動を起こしているのです。

体内のエンジンがオーバーヒートして疲れ切っているのに脳だけが元気に動いているから起こり得ることです。

真面目に仕事なり、家庭生活なりに打ち込んできたからこそ、身体が悲鳴をあげているのに無理を重ねてしまった結果かもしれません。

 

昼夜を問わず寝てしまいましょう。

だるい、眠い時は無理をする必要はありません。お日様がでていようが良い天気だろうが、ただひたすら眠ってください。罪悪感を感じる必要など一切ありません。

 

少しでも何かを食べる。

うつは『こころの風邪』などではありません。

この有名なフレーズは製薬会社のキャンペーンのために使われた言葉です。営利目的といってもいいでしょう。

風邪はウイルスで感染するものです。うつとは根本的に全く異なる病気です。

ただ同じといえることはどんな病気でも栄養を取ることは大切だということです。

食欲が落ちているかもしれません。ゼリーやプリンなど柔らかくて食べやすいものから無理しない程度に口に入れてください。味わわなくてもいいです。

大切なのは栄養の摂取です。

 

少しでも元気が出てきたら昼間に外に出てみる。

決して無理をしないでください。

あくまでも“気分が上向いてきたら”です。太陽光のうつへの好影響はよく知られています。人間にも光合成が必要なんですね。

ほんの数分でいいです。

気乗りしないのに他人の助言で無理やり外にでるのはお勧めしません。却って悪影響です。

 

服薬はきちんと用量を守る。

自棄になってたくさん飲んだりは決してしないでください。ろくなことがありません。効果に疑問があればなんでも主治医に相談しましょう。診察時間が短いなら薬剤師さんに相談するのもおすすめです。

相談に乗ってくれないような医師なら変えることもいとわないでください。

 

医師を選ぶ権利は患者であるわたしたちにあります。

傲慢にただ単に機械的に薬を処方するだけなら素人でもできる行為です。

日常の生活を気にかけてくれる。睡眠、食事、服薬、外出、気分の変動。こういった一連の流れをよく聞いてくれる医師は良いと思います。

うまく話せない…そんな意見もよく耳にします。そんな時は日常生活の困った点や改善したい点をメモにして渡すのが手っ取り早いです。

眠れません。食べれません。たくさん薬を飲むのがいやです。このようなことは正直に言っても構わないです。それで嫌な顔をするのはヤブ医者と思って間違いないです。

ただ、自己判断で薬の調整はしないでください。必ず医師と相談のうえ薬を決めてください。

 

精神科は怖いところではありません。

自分にあった病院を探すのは大変かもしれませんが、自治体の保健所や役所でも相談に乗ってくれます。頼れる家族や知人がいる場合は病院探しを思い切って甘えてしまいましょう。

私見ですが、、、即閉鎖病棟にぶちこもうとする病院はよく見極めてください。閉鎖病棟というのはよっぽど重症の患者さんが入院するべきところです。例えば錯乱状態になり暴れる、死に至るほどの自殺行為をしようとする、つまり命の危険や他人に危害を及ぼす恐れのある患者さんが入るのが閉鎖病棟と思ってもらっていいと思います。※自分で閉鎖病棟に入る必要性を感じるならばそれでいいと思います。

ネットの情報に振り回されないことも大切です。自分の感覚を大事にしてください。

待合室での患者さんの病状を観察するのもひとつの手です。

私の通っている病院は待合室が広くてソファがならべてあり、皆静かに順番を待っていますし、予約制なので何時間も待たされることはありません。ただ、夜間や急患がないというデメリットもあります。※病院名を公表することは控えさせていただきます。

待合室で奇声を上げている人がいたり、ちょっと怖いな…という印象があるなら、もしかして自分にはあっていないのかも。と考えてもおかしくはありません。

精神の病は短期でよくなる場合もありますが、長いつきあいになることもありますので病院選びは慎重に行ってください。

 

自分で病名を決めないでください。

自分はうつだから寝ていれば治るだろう。と楽観視してはいけません。

精神の病は病理が深いです。医師でも簡単に病名をつけないくらいです。

なぜなら精神の病は定型では語れないからです。短い間の症状をみて処方された薬を飲んでも全く効かない場合もあります。違う病気が隠れている可能性も秘めています。骨折なら骨がくっつけば治りますが残念ながら精神の病はそう簡単に完治しません。

 

自殺だけはしないでください。

死んでしまったら楽。死んだほうがまし。

そう考えないほうが少ないと思います。だって自由がきかない身体に突然なってしまったんですから無理もありません。幻聴や幻覚に悩まされる症状の方もいるでしょう。辛いことは数え切れません。でも、服薬やカウンセリングで楽になります。すぐに良くなる即効性は無い可能性はありますが。

つらいつらいと弱音を吐いても構いません。

本当は望ましくないですが、時に家族や親しい人にやつあたりをしてしまっても仕方ありません。※ただし暴力は駄目です。

でも自殺するよりましです。自殺だけはしない。と心に決めてください。

がんばってと言うのは禁物。と良く言われますが、人にがんばれと言われるのと自分でがんばらなきゃ。と思うのでは全く別です。

生きる気力を無くしてしまったら本当に危ないです。なにがなんでも生きてみようと思って欲しいです。ありきたりですが、生きていればいいことだってあるんです。

 

ささやかな楽しみを大切にしてみる。

コーヒーがおいしく感じた。青空がきれいだった。そういえば最近暖かくなった。道端にたんぽぽが咲いていた。テレビを見て笑った。映画に感動して泣いた。

そんなことを感じるようになったらだいぶ良くなっていると自分をほめてあげてください。闘病というように精神の病だって病気との闘いです。常に闘っていれば疲れます。

テレビも映画も本も集中できないから無理。そんな時もあります。

のんびりゆったり過ごしてみて心地よいと思えることをやってみてください。

たっぷり眠ったからちょっとすっきりしたかも。とか、ちょっと外に出られたから気分転換できた。とか、家族と話したらほっこりした。とか…

生活の中で楽しいことはたくさんあります。それを見逃さないでください。

 

できることから無理せず焦らずゆっくりのんびり。

完治させなくては!とがんばってしまっては燃え尽きてしまいます。

日常生活の5割くらいを目安に活動できるようになれば万々歳です。

疲れたら立ち止まる。休む。これはとっても大事です。

 

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以上、精神科通院歴10年選手の私のできるアドバイス的なことです。

悩んでいるだれかのお役に立てれば幸いです。

こころを病んでいる自分を客観的にみるということ。

メンヘラはジコチューでかまってちゃんでウザイ。

 

というのが世の中の通説になっている。

地雷。とか、関わったら最後である。とか…

 

確かに、そういう人はいると思う。

私も過去にそうだったと思う。

 

客観的、俯瞰的に病んでいる自分を評価することは辛いことだ。

見たくもない現実に直面するから。

だからどうしたって主観的にしかものごとを考えられなくなる。

あたしがあたしが。デモデモダッテ等言われる所以。

 

特に幼少期に親に“まっとうに育ててもらえなかった”“愛情をかけてもらえなかった”人ほどかまってちゃん状態になるのは当然だと私は考える。

愛情の欠如、愛されることへの渇望。

もうどうしようも無いほどに乾ききったこころに入り込む“人のあたたかさ”。

それが例え体だけの関係でも、暴力を伴っていても、金銭が目的でも…

心を病んでいる人にはかけがえのないものだったりする。

 

人との関わりが無い場合、それは依存という別の病に形を変える。

摂食障害、アルコール、自傷、違法薬物、ギャンブル、窃盗…こういったことに夢中になることでこころを殺し無になることでずっと奥に潜む闇から目を逸らす。

 

世の中、見たくもない残酷なことが溢れ返っている。

大人ですら自分のことに精一杯。子供に愛情をかけることができない人が増えていても不思議ではない。

虐待とひとことに言っても形はいろいろ…

自分のこどもに無関心。というのも虐待のひとつ。

 

最近、私は人との関わりを極端に避けている。

精神科に通う前に知り合った人たちは携帯を変えることで全部切ってしまったし、案じてくれるような親しい間柄の親友なんて居なかった。

精神科で知り合った人たちは上記のような人たちなので、お互いの傷をなめあっている内は気が合うけれども自らの回復にとってはマイナスになる。

 

デイケアに通っていたことがある。入院施設のある病院だったので“常連さん”がいた。

言葉は悪いけど、生活保護の人たち。入院もデイケアもタダ。働かない、働けないので暇。

今考えると随分嫌がらせをされた。スタッフを巻き込んでいつの間にか私が悪者になっていた。スタッフも主治医も私に向かって、場の空気を乱すことはやめろ。と忠告した。

デイケアは長く続けることができなかった。息苦しい空間だった。

“常連さん”たちにとっては、生活に困っていないし元気(に振舞っていただけ)な私が気に食わなかったろうし、私にとっては国の金で生きている“常連”さんたちが嫌いになった。

勿論、そうではない生活保護の人だっているし、私が見たことのある生活保護の人だからごくごく一部の人たちではあるけれども。

 

今考えると、あの人たちは寂しくて、コンプレックスを抱えていたのかもしれない。と思う。

 

家族もいない、ひとりで生活している。仕事をしなくていいから職場などで顔を合わせる人もいない。生活保護で生きているという偏見の目。

でも、生活保護だからって穿った見方で世の中や人を見ていいという訳ではない。弱者だから犯罪を犯していいという理論が通用しないように。

 

生活保護の有無を問わず、精神の病をもっているなら努めて客観性を身につけることはかなり重要なのではないかと思う。

 

それが自分の評価を保つ為に重要ということに早いうちに気づかないといけない。

 

確かに辛い。現在も辛いし、過去も辛かった。

でもいつまでたっても悲劇の中にいたら治るものも治らないのだ。

 

『わたし』の気持ちを重要視するあまり他人を傷つけたり、不快にさせたり、いつのまにかひとりぼっちになっていたら本末転倒。

 

“過去を昇華”することで現在を生きる。何なら“過去を葬って”もいい。

 

とにかく『わたし』を守り、快適で安全な暮らしを手に入れたいならとっとと“病因となったできごと”とさよならして、蹴りをつけて、

 

未来に生きなくてはいけない。

 

強くならないといけない。

 

いつまでも過去を引きずって後ろばかり向いていても楽しくない。

 

藁をもすがる勢いがないと生きて行けない。

 

それが、ひいては自分の幸せに繋がっていくと思う。

だから自分を客観性を以って省みることが必要なことだ。

 

 

生活保護や精神を病んでいることへの批判ではありません。生活が経済的に困窮していたら受ける権利のあるのが生活保護だし、精神を病んでしまったら適切な治療を受けるという考えの前提の元書いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『パリ、テキサス』とかタモリと近所なんだ(実家)とか。

非常に自己否定の強かった私はほぼ周りの人間に振り回されて生きてきたと言っても過言では無い気がします。

白を黒だと言われれば『それは白ではないか…』という心の声を打ち消して『黒』と言わざるを得ない。そこにはピンクも赤も青も緑もましてやグレーなどないのです。

他人が黒と言ったら自分がどんな風に見えていても黒。

本当はパステルカラーが好きだったけど、私の幼少期の風景はモノクロだった気がします。

 

親がそういう価値観を植えつけていたわけですが、“従順であること”を求めるのは親だけではありませんでした。従順である。意のままに動く“機械のような人間”を欲している人は世の中にたくさんいる。そんなことは知らなくてもいい。けどそういう場面に直面することは毒親育ちではなくとも大人になれば誰しも経験があるように思います。

 

子供が“従順”で“おとなしく”て“意のまま”に動くことは親にとってこの上なく好都合でしょう。

私は、泣かないわめかない意見しない反論しない。素直でおとなしい子供であることを常に求められていました。

少しでも自分の意見を言おうものなら即時に全否定され、『おまえは可愛げが無い』と切り捨てられる。

それは自尊心をそぎ落とされる行為でした。

 

家ではロボットのように感情を露にすることを暗に禁じられていたわけですが、学校では違います。私は昭和生まれですから今ほど個性個性いわれる前の教育を受けましたが、それでも“自由のびのび元気で明るい”子供像が教育現場では理想でしょう。

私は陰気な子供でした。

家で意見することを封じられていたわけですからいきなり“じゆうなひょうげん”を求められても困惑するだけです。

唯一救いだったのは、私は子供の頃から活字中毒だったことです。親が世話を放棄するので時間だけはたっぷりありました。私には妹がいるのになぜか家で常にひとりで留守番をさせられていました。私は“おねえちゃんなんだからがまんしなさい”の精神を植えつけられていたのに対して、たった2歳しか離れていない妹はいつまでも子供の振る舞いを許されました。なので、母は妹だけを連れて出かけていたのでしょう。家には親戚が送ってくれた大量の絵本と童話と祖母が買ってくれる本がありました。暇だった私はかたっぱしから本を読み漁りました。本を読んでいる間は時間があっという間に過ぎるのでひとりぼっちの孤独を早く終わらせてくれる存在だったのです。

 

で、じゆうなひょうげんに戻るわけですが、活字中毒だった私は学力は低かったものの言語に関すること、語彙や表現することに長けていたようです。自意識過剰かと思われるかもしれませんが国語だけは先生によくほめられていたので間違いではないと思います。引っ込み思案ではっきり自己主張はできませんでしたが、なんとか学校での時間を乗り切れたのはその長所のおかげです。

 

自己肯定ができなくて他人に振り回される。常にひとの顔色を伺って生きているとそういう人間を物凄く敏感に察知して近寄ってくる類の人間が存在することを私は知りませんでした。彼らの目的は自分の都合のいいように使うことです。

 

父方の祖母が贈ってくれた宝物の本があります。ミヒャエル・エンデの『モモ』です。

『モモ』に出てくる“灰色の男たち”のような人間がぴったりあてはまります。

他人に寄生しないと生きて行けない。つまり根っこの無い弱い人間。そういう男たちに翻弄されて私の若い頃は苦悩の連続でした。

 

あるとき、職業不詳のDJと知り合いました。今思うと何が魅力的だったのかさっぱり分かりませんが、クラブシーンが最盛期だったのでDJというだけで“ブランド”でした。DJはかなり年上だったにもかかわらず貧乏で見栄とプライドだけで生きているようなさもしい人間だったのを見抜けなかった私はばかです。

性的にひどいこともされました。それよりも私を侮辱して優位にたって自分の価値が上である。という言葉の暴力のほうがきつかった。

 

DJが料理を振舞うというので私は居間でテレビを見ていた。夕食の時間帯はグルメ番組が多い。『おいしそー!』と言った私に台所にいた彼は激昂して怒鳴りつけました。『俺が料理を作っているのに手伝いもしないで他の料理を見ておいしそうとはなんていう非常識だ!!!』私が泣くまで説教されました。狂気じみていました。DJはできあがった料理を出しました。食欲なんてありません。でも残すのは最大の侮辱だと主張するので泣きながら完食させられました。味もなにもありません。

 

DJとは常に割り勘でした。安居酒屋に行った時、つくねを食べる私にそんなもの何が入ってるかわからないのに!と食通ぶっていました。皿が何枚も空いたので店員さんが片付けやすいように重ねる習慣がある私はいつものようにそうしました。『皿を重ねるなんて非常識だ!』そりゃあひと皿ひと皿でてくるような高級懐石ならそんな真似するわけありません。一品数百円の料理を提供するお店の皿が高級な訳…あるんでしょうか…兎に角いちからじゅうまで私のやること、発言、なにもかもにいちゃもんを付けては悦に入っているようでした。

 

私は高校生の時から自宅で鑑賞できるNHKBS放送の映画が好きでした。マイナーな、テーマもまじめなものが多かったのですが、所謂“単館系”と呼ばれていたサブカル的な映画だったのです。今でこそサブカルブームですが、その時は誰も知らないような映画を観ても感想を分かち合える訳でもなく、自慢要素ゼロでした。

 

DJに『パリ、テキサス』という映画がすごく良かった。女優さんも綺麗だし空気感がすごく好きだった。と話しました。『そんなの俺高校生の時にとっくに見た。そんなこと言って恥ずかしくないの』言い放たれた言葉に呆然としました。確かに新しくはない映画です。メジャーな映画でもないです。名作といわれている作品です。いつどんなときにどんな人が観ても感動できるのが名作たる所以なのではないでしょうか。

先に見たから?高校生で理解できたから?偉いというのがDJの主張だったようですが、、、いま回想すると失笑ものです。

 

つきあいはあっという間に終わりました。『パリ、テキサス』のせいではないです。

 

あるライブでプレイをするDJを見にいきました。後輩DJに偉そうに意見を言い、マイナーな(というか誰も知らない)ディスク(皿)をまわし得意げでした。私はつまらなかったので踊りました。ノリが良くてJ-POPじゃなければ頭をカラにして踊れるんです。日本語は歌詞が頭に入ってきてあまり乗れません…DJは所詮前座でした。客の目当てであるバンドがライブをしました。ボーカルがロングヘアの美人でギターを弾いて激しい歌をうたっていました。

彼女は自分の出番が終わるとメンバーといっしょにギターケースを背負って出口に向かっていました。DJは私に『のどあめかガムない?』と聞き、?という私を置いて出口に向かいました。バンドの美人を追いかけていくDJを見て、どうでもよくなりました。ちょっと笑いさえこみあげてきました。滑稽な姿でした。

DJは音楽プロデューサーのKと知り合いだと言っていました。Kの前に美人を連れて行かないと恥ずかしいと。アクセサリーのように人を扱うクソDJのほうがよっぽど恥ずかしい。

 

… 書いてみてもつくづく黒歴史です。

 

あるときは外資系に勤める30代のリーマンでした。俺語り大好きで常に自慢話。つまらないので話半分でした。地方の国立大学を出て特殊な仕事をしているようでした。教えてはくれなかったのですが、仏車のデザイン関係のようでした。

繰り返し、実家がタモリの近所。車2台とバイク所持。収入は普通のリーマンの倍とかなんとか。六本木のオールディーズのディスコスタイルのクラブに毎週通っていました。よっぽど心酔らしく、ライターやプラスティックの持ち物ほとんど全てに自作()のテプラ()で店名を印刷したラベルを貼っていました。(もう今となってはどう突っ込んでいいか分からないほどです…)

件のクラブで他の男性と話していると喧嘩をふっかける、なんてこともありました。

さぞや豪華なデートをしたと思われるでしょう…

大○屋でも割り勘。クラブのチャージは自腹。1000円以上の食事は高いと文句を言ってやめる(割り勘だっていうのに)待ち合わせは車で迎えに来てくれたけど中間地点以上の距離まで私が電車を使う。待っている間にマックシェイク100円を飲んでいたら『俺の分は?』彼のマンションで歯ブラシを渡されたけど先がぼさぼさの誰が使ったか分からない中古w(もちろん使わず。当たり前w)風邪を引いて寝込んでいたら来てくれて手土産はコンビニのアイス一個(しかも半分ずつシェアw)家にあるものをこれも100円あれも100円!となぜか自慢される。

 

しかも驚くべきは私はその当時派遣社員の契約の隙間で無収入だったこと。貯金を切り崩していました。ある時、車の中であなたは私が無職なのを知っていて割り勘にこだわるのかと憤慨すると。

『金金金金いうんじゃねえよ!!!』と罵声を浴びせられました。

 

幼い頃からお金に苦労してきた私は良い意味でも悪い意味でもお金に執着しません。使うべきときは使う。楽しいこと、友達、恋人と一緒のときのお金は無駄ではないという考えです。

 

でも、、、度を越えたケチはだいっっっっっキライです。

 

まあもうひとりドケチと言えるひとと関わったことがありますけど、上記の2名+αは“元彼”ですらありません。私がさみしさのあまりつけこまれたといまでは思います。

 

そしてそういう男に限って私からフェードアウトすると未練をみせるのです。

『今度からおごるから』と言われたことすらあります…

 

人をみる目は養えたと思いたい。

 

けど 下衆すぎて恥ずかしくて隠したい。そんな過去です。

 

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ミヒャエル・エンデの『モモ』は本当に素晴らしい作品で大好きです。祖母がなぜあんな分厚い本をまだ小学生の低学年だった私にくれたのでしょう…不思議ですが、、、実家も無く引越しばかりの人生の私が決して捨てることなく大切にしている一冊です。

卒業アルバムも、出生時の写真もへその緒も…大切にしていた文庫や思い出のもの。実家といっても借家ですが、いまはもうすべてありません。このことはまたいつか書こうと思います。

 

**********

 

最初は深刻な文だったのに、、、思い出したひとたちがクズすぎて笑い話のようになってしまいました…

 

やーっぱりね。。。

今年も海へ行くって… というサビの歌。

なんの比喩もなく陳腐な歌だよなあ…

と流行った当時から思っていた。

 

でもとにかくあいたいっていう気持ちの強さは感じていた。

 

恋人への歌っていう解釈だったから。

本人も世間的にも。

あいたいあいたいってなんのひねりもない歌詞に違和感を覚えていた。

 

でも今日のYahoo!ニュースを見て納得した。

作詞家の沢ちひろさんの亡くなったお母様にむけての歌だったのだ。

 

恋人は所詮他人だから多少昇華して表現したほうが楽だと思うの。

ただやみくもにあいたい!約束したじゃない!っていうんじゃなくて。これじゃあただの駄々っ子じゃん。

でも、母親を失った子の悲しみと捉えればすごくしっくりくる。

おかーさん!約束したじゃない!置いて行かないでよ!あいたいよ! これは残された子の当然の心の声だと思う。

手放しで愛し愛される関係ならこのくらいストレートな表現しか思いつかないよね…

 

恋人だったら… たとえば… 私がんばるから見守っていてね。的な表現がしっくりくる気がする。

だって恋人は無限の愛をくれる人とは限らないから。

 

お母さんとの思い出、別れの悲しみを思って作った曲が“恋人”との別れの曲になって大ヒットした。

結果オーライかもしれないけど、歌い手が悪かったね。

だって代表曲これしかないもん。 で、稼ぐためにテレビのバラエティ番組で替え歌されれば、、、そりゃあ不快だわーーー

しかも歌手自身が売れない今みたいな歌詞にしたんでしょ。

胸糞悪い…

 

作品を表現者に託すのが作詞家のお仕事だとは理解してるけど、今回の訴訟で沢さんの納得いく結果が出ればいいなと思います。

 

そして長年疑問だった恋人への歌ではなく母親を思う歌ということが分かって私的には良かった。

生きたくても生きられない人がいる。

私が精神を病んだのは10年ほど前です。

 

※注意 DVについての記述があります。

 

 

付き合っていた人にひどい暴力をふるわれていました。付き合いは数ヶ月でした。でも私は彼のために引越しまでしました。そばにいたい。良い彼女で居たい。そんな一心で食事からなにからなにまで尽くしていました。蜜月は最初の1ヶ月ほどでした。

あるとき彼に平手打ちをされました。俺の親を侮辱した!と彼は激昂しているのです。意味がわかりませんでした。それは彼の家での出来事でした。それまで彼の両親となごやかに過ごしていたのに、ふたりきりになった途端です。

DVの心理というのは分かりません。でもとにかく気に食わないことがあればそれは相手のせい=暴力で解決=自分はちっとも悪くないという方式で成り立っているようでした。 度々殴られました。足で蹴り倒されて殴られたり、私が借りた部屋のふすまや扉をぼろぼろになるまで蹴り続けたり、灰皿をぶちまけられたり、そういう時必ず彼はこう言いました。

 

のんが悪い!のんが俺を怒らせるんだ!俺は今まで女なんか殴ったことない!

 

そのあとは必ずセックスを求めてきました。それに応じる私は当時何を思っていたのか…嫌われたくない一心でした。 それに今までの彼女は殴られていないのだから私は努力が足りないと本気で思っていました。DVのテンプレです。

彼はたくさんお酒を飲みました。私もお酒は好きだったのでふたりでも彼の仲間ともよく飲んでいました。飲まなければはじまらない、くらいの勢いです。 ある時、家でふたりで飲んでいて前後の記憶はすっぱぬけていますが…彼が私に何かを言いました。(覚えていないのですが…)絶望した私は死ぬしかないと思いました。発泡酒で喘息の薬を飲み込みました。ある限り。それこそ何十錠も。オーバードーズなんて言葉も方法も知らない頃です。彼は言いました。

 

そんなのただのパフォーマンスだ。

 

翌日彼は普段どおり仕事に出かけました。私は目を覚ましました。死んでいないことに絶望しました。止まらない体の震えと吐き気に自分で救急車を呼びました。到着した年配の救急隊員が何をしたのか聞きました。薬の大量摂取と知ると後ろの隊員にこう伝えました。

 

自殺だな。

 

近くの大きくて綺麗な病院に運ばれました。胃洗浄と数日の入院をしました。退院の日がクリスマスイブで小さなケーキが食事と一緒にでました。入院している間看護師さんも医師も親切でした。まじめで心優しそうな看護師さんが点滴を変えるとき、精神科の通院歴の有無を私に問いました。精神科なんていったことがない。と答えると彼女は言いました。

 

あなたには精神的なケアが必要だと思うの。

 

彼は私に散々暴力をふるい、私はおろか家族まで侮辱して、とうとう家をでてしまいました。私はDV男に捨てられたのです。心が空っぽでした。自殺未遂から半年経っていました。食べられない眠れない何も手につかない状態が続きました。派遣で事務をしていた会社もクビになりました。なんとか給付金で食いつないでいました。そんなときテレビでこんなコマーシャルが流れていました。

 

うつは心の風邪です。

 

私は精神科に通うことに決めました。小さなクリニックです。Pという抗鬱剤を出されました。でも一向に状況は変わりませんでした。ただ医者はどんどんPという薬を増やすだけです。その薬を飲むと目が冴えて脳が暴走したようになりました。それを訴えると安定剤が追加されました。

※本来抗鬱剤は私には必要ないものでした。うつでは無かったからです。ただうつと間違われる病気ではありました。

都内の入院施設のある大きな病院に転院しました。区役所に自分で電話をかけて探しました。クリニックの先生が入院を勧めてきたからです。区役所で対応してくれたのは女性でした。あなたは閉鎖病棟にはいる必要は無いと思う。と新しい病院を教えてくれたのでそこに通うことに決めました。

※そのときの女性の進言はとても大切なものでした。閉鎖病棟でひどい目にあったことがあるからです。

転院先ではPという薬は不要とのことでした。ただとてもたくさんの抗不安剤や安定剤、とても強い睡眠薬を処方されました。

私はその時すでに今の夫と出会っていました。私を支えてくれたのは唯一彼だけです。繰り返しの入院、自殺未遂、その度に心配して駆けつけてくれるのは夫だけでした。私と血のつながった家族は一度たりとも顔を見せることはおろか容態を気にするようなこともありませんでした。

 

死にたい 死にたい 死にたい 死にたい

死ななくてはいけないという思いだけで生きていました。ただどうしたって死のうとしても死ねないのです。自決することもできない。死ぬ勇気も無い。私は落胆していました。どうしてこんなに死にたいのに死ねないんだろう…私はなんて臆病者なんだろう…

 

同時にDV男が幸せに暮らしていることをその嫁のブログで知ってしまいました。未練、というよりは不幸を願っていました。それなのに加害者は幸せなのです。そのブログのコメントにひどいことを書き込みました。twitterにも書き込みました。嫁は私に向かって

 

粘着質のストーカー女

 

人には等しく時がながれるのに彼女は過去に生きている。自分の不幸を人のせいにするなんてまったくくだらんね。くだらんよ。

 

とコメントしました。

暴力を振るった彼からもメールを受け取りました。

 

警察に通報しました。可哀想だけど捕まって下さい。

 

あなたの人生は自分と出会う前から壊れていた。

 

でも私は警察の取調べすら受けませんでした。実際に近寄っていないからなのか、過去の暴力沙汰があきらかになったかは分かりません。

 

 

希死念慮がほとんどなくなったのは最近のことです。主治医が変わって、そして自分自身で暴力を振るった男のせいで病んだのではなく家族との関係で病んだのだ。と気づいたからです。

 

『おかあさん、わたししにたいの。どうしていいかわからない。』

 

泣きながらの訴えに母はこう言い放ちました。

 

もういい加減にして。私を解放して!

 

そして電話を切られました。

 

妹と父に『死にたい。死ななくてはいけない。でもどうしたらいいかわからない。』とメールしました。

 

父からの返信はありませんでした。

妹からはこんなメールが来ました。

 

生きたくても生きられない人がいるのにそんなこと言ってどうするの。

 

自殺志願者が、実行しなくとも一番言われたくないことばがこの言葉だそうです。

 

生きたくても生きられない人はいる。でも死にたくても死ねない人だっているんだ。そんな言葉をネットで目にしたことがあります。その言葉はとても身に染みて響きました。私もそんなひとりだったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※追記

現在のわたしはほとんど死にたいという気持ちがなくなっています。自死を推奨する文章ではないことをご理解ください。

これはわたしの過去のできごとです。